
スタートアップの企業価値(EV)を論理的に算出する手法として、前述の記事5では市場の相場を参考にする「マルチプル法(類似会社比較法)」を紹介しました。
しかし、ディープテックやバイオ、新規性の高すぎる革新的なビジネスモデルを展開するスタートアップの場合、株式市場に「似ている上場企業(類似会社)」がどこにも存在しないというケースが多々あります。
そのような場面で、企業の「未来の可能性」を100%詰め込んでEVを計算する究極の手法が、「DCF(Discounted Cash Flow:ディスカウント・キャッシュフロー)法」です。
本記事では、難解に見えるDCF法の全体像を分解し、スタートアップが自社の5カ年計画から「フリーキャッシュフロー(FCF)」を予測し、それを「現在価値(PV)」へと引き直してEVを導き出す実務プロセスを、分かりやすく解説します。
1. DCF法の基本思想:企業価値とは「将来の現金の総和」である
DCF法の根本にある思想は、「ある企業の価値(EV)は、その企業が将来にわたって生み出す全てのキャッシュ(現金)を、現在の価値に換算して足し合わせたものである」という考え方です。
どれだけ素晴らしい技術や特許を持っていても、将来的に現金を1円も生まない企業であれば、ファイナンス上の価値はゼロです。逆に、今は赤字であっても、5年後、10年後に莫大なキャッシュを生み出す構造(仕組み)を持っているなら、その企業の現在のEVは非常に高く評価されます。
DCF法の具体的なステップは、大きく以下の3つに分かれます。
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将来(一般的には5カ年)のフリーキャッシュフロー(FCF)を予測する。
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6年目以降の永久的な価値(ターミナルバリュー)を計算する。
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それらの未来の現金を、リスク(割引率:WACC)を使って現在価値(PV)に引き直して合計する。
2. ステップ1:フリーキャッシュフロー(FCF)を正しく計算する
DCF法の分母に置くべきなのは、会計上の「営業利益」や「純利益」ではありません。企業が借入金の返済や株主への分配、あるいは将来の再投資へ「自由に使える現金」である「フリーキャッシュフロー(FCF)」です。
スタートアップの実務における簡易的なFCFの計算式は以下の通りです。
スタートアップ予測時の注意点
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減価償却費の足し戻し: 減価償却費は現金が出ていかない費用なので、利益にプラスします。
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設備投資額のマイナス: 将来の成長のために必要なサーバー強化やPC購入、ソフトウェア開発費(資産計上分)などは、一括で現金が出ていくため、利益からマイナスします。
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運転資本(ワーキングキャピタル)の罠: 売上が急拡大するスタートアップでは、売掛金や在庫が増えるため、「帳簿上は黒字なのに、手元の現金が減る(運転資本の増加)」という現象が起きます。この増加分をきっちり利益から差し引かないと、FCFを過大評価してしまいます。
3. ステップ2:未来の現金を現在価値(PV)へ割り引く
次に、5カ年計画で算出した各年のFCFを、現在価値(PV:Present Value)に変換します。
なぜなら、「将来手に入る1億円」と「今手元にある1億円」では、今ある1億円の方が価値が高い(投資に回して増やせるため)からです。また、未来の計画には「達成できないかもしれない」というリスクが含まれます。
この「目減りさせる割合」のことを割引率(WACC)と呼びます(※詳細は記事8を参照)。
仮に、自社の割引率(WACC)をスタートアップの標準的な水準である $40\%$ と設定し、3年後のFCFが「1億円」と予測された場合の現在価値(PV)の計算は、以下のようになります。
事業計画書に「3年後に1億円のキャッシュが出ます!」と書いてあっても、現在の評価(EV)に組み込まれる時点では、約3,644万円にまでディカウントされてしまうのです。
4. ステップ3:6年目以降の価値「ターミナルバリュー(TV)」を合算する
事業計画は通常5年で区切りますが、会社は6年目以降も存続し、キャッシュを生み続けます。この6年目から永遠に続く未来の価値を、数式で一括計算したものを「ターミナルバリュー(TV:期間末価値)」と呼びます。
計算には「永久成長率($g$:一般的には日本経済の成長率に合わせて $0\% \sim 1\%$ 程度)」を用います。
実は、DCF法で導き出されるEV(企業価値)の約 $70\% \sim 80\%$ は、このターミナルバリューが占めることになります。スタートアップの価値の大部分は、「5年間の必死の這い上がり」の先にある、安定成長期(6年目以降)の果実にあるということです。
最後に、1〜5年目のFCFの現在価値と、ターミナルバリューの現在価値をすべて足し合わせることで、自社のEV(企業価値)が完成します。
5. まとめ:DCF法は「ストーリーを数字に落とし込む」ツール
DCF法は、計算式やExcelのモデルが複雑であるため、敬遠されがちです。しかし、その本質は「数式の正しさ」ではなく、「事業計画のストーリーの納得感」にあります。
「なぜ3年目に売上がこれほど伸びるのか?」
「なぜ5年目に設備投資が減り、キャッシュが残るようになるのか?」
これらの問いに対して、プロダクトのロードマップや市場の成長性、解約率のデータをもとにロジックを説明できて初めて、DCF法で弾き出されたEVは投資家(VC)にとっての「信じるに値する企業価値」へと昇華します。
自社の未来の可能性を、単なる絵に描いた餅ではなく、財務の共通言語(DCF)へと翻訳して語るスキルを身につけること。それこそが、前例のないイノベーションに挑むスタートアップ経営者に求められる、最高峰のファイナンス実務です。

